2015年2月11日水曜日

3年11ヶ月とKちゃん


2011年3月11日
親友の一人が
気仙沼海岸近くに住んでいました。

地震発生を聞いた時
すぐKちゃんのことを思いました。

大地震発生から
1週間後にようやく
Kちゃんの無事を知りました。 

地震後
ツイッターを通し 
息子さんと繋がることができました。

でも、
Kちゃんの安否は
なかなか、わからず心配しました。

息子さんは
つらく・苦しい状況の中
気仙沼市出身の
地の利を生かし
より正確な情報を集め
受発信していました。

あの日のことを
忘れない
風化させないために
Kちゃんの息子さんの
ブログから一部抜粋紹介します。 
********


この数日間
正直な話をすると
僕自身もかなり
切羽詰った状態にありました。

は昨年の九月
父を癌で亡くしたばかりでしたから
この半年の間で
父に次いで母まで
奪い取られるようなことがあれば
「俺も死んで
 神というものを
 呪い殺しに行こう」と
本気で考えておりました。

この数日間はまるで
かりそめの命を
与えられているような心持ちでした。

仕事の合間を縫い
この作業にしがみついていたのも
自分が糸の切れた
凧のようになることを
どこかで恐れていたからだと思います。

眠ることも・食べることも
ままならなかった僕は、
鬼気迫る顔をしていたのでしょう。

そうしたら、
会社のバイトの
スタッフの子たちが
ひとりでに僕の部屋を掃除し
(僕は今、会社の
 事務所の一階に間借りしています)
お味噌汁まで作ってくれました。

お昼どき、
僕に電話をかけてくれ
「外の天気がすごく良いから
 お弁当でも買って
 鴨川に腰かけて食べましょう。
 元気が出ますよ」と
誘ってくれたりもしました

(全員男の子です。
 彼らは皆、素晴らしい
 主夫になれると確信しました)

震災日以来、
彼らの行動から
滲み出る親切さに
僕はどれだけ救われたことか。

その中でもとりわけ
彼らがかけてくれた
この言葉に僕は
最も救われたような気がします。

「Kさん、
 こういうときは、
 休むのが仕事なんじゃないですか」

「そういう考え方もあるのか」
  と、僕は思いました。

あるいはこれは、
一般的な考え方なのかもしれません。

でも僕の場合
言われるまでは
絶対に思い浮かばないことでした。

現地に行きたくても
行く手段がないこと
あるいは、
もし行けたとしても
交通渋滞の一因を招き
物資の到着を遅らせ
現地の方に迷惑を
かけるのではないかという思い。

そして、
自分が
何もできていないという無力感
―そんなジレンマに加え
家族や親族の
生死さえ分からないのに
自分が京都で
全うな日常を送れていることに
大きな罪悪感を抱いていました。

<中 略>

世の中には
バランスというものが存在します。

地震、そして津波という
圧倒的なマイナスの
エネルギーが生じれば
それに対抗し得る
プラスのエネルギーが
僕たち人間の側に湧き起こるように。

だから こそ僕は、こう言いたい。

「遠隔地にいる
 被災者の家族の皆さん
 今は休むことが
 仕事ではないでしょうか」

<中 略>

引き受けた傷と痛みを
プラスのエネルギーに変えましょう。

僕たちには
きっと、それができるはずです。

そして、一人ひとりが
最善と思う形で行動に
移していきましょう。

でも
その前にちょっと、
一休みするべきではないでしょうか。

何と言っても体が
資本であることは、
いつだって変わりませんからね。

そのことを
気づかせてくれた
スタッフのみんな
情報更新作業の
お手伝いを
申しでてくれた方々
本当に感謝しています。

だから僕も
皆さんにこう言わせてください。

「『休むのが仕事』と
  いう時も、あると思います」
                
***************
         

無事を知った時
本当に嬉しかったです。

1年後
Kちゃん親子が5日間
秋田に遊びにきてくれました。

今、
Kちゃんは
首都圏で息子さんと一緒です・・・。





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