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2020年3月11日水曜日

9年目の東日本大震災の日


東日本大震災
3月11日14時46分。


あれから、9年が経ちました。

毎年
秋田市の駅前
アゴラ広場で
「追悼のつどい」の
セレモニーを行なっていました。

でも、今年は
新型コロナウィルス
自粛規制がかかり
残念ながら中止になりました。

例年の
3月11日の
秋田はまだまだ寒く
アゴラ広場は
ビル風があり風も強いです。

風よけテントの中の
消えたろうそくを
何度もつけ直していました。

ろうそくの灯を
つける時
亡くなった方々のことを思います。

ろうそくの灯が
揺れ動く時、心が痛くなります。

まだ、
仮設住宅で頑張っている人
行方不明の家族を探している人
亡くなった家族を思っている人
・・・がいます。

私ができることは…。 
3.11.を忘れないこと!

東日本大震災の時

27時間以上の
長い時間の停電を体験しました。

電気が回復した

27時間後
初めてTVニュースを見ました。


携帯ラジオで
「THUNAMI」があったこと
たくさんの人が
行方不明になっていること
・・・・・・は知っていました。

でも
TVの画面で見た時
現実に
 この惨事が
 日本で起きていることなのか・・・」と
驚愕しました。


そして、

私自身が
便利な生活に
慣れ過ぎていていること。

文明の利器に
頼りすぎていること。


今一度
災害対策を意識しようと思っています。


3.11・・・
自分を見つめ直したいです…。

2020年2月11日火曜日

女性パワー全開


2011年3月11日
14時46分に

東日本大震災が発生。

あれから
9年になろうとしています。

今も
同じ東北の
福島県南相馬市に
心にかかっている方々が
おります。

震災後
南相馬市へ5回訪れています。

多くの方々が
この9年間
大変な思いを

たくさん抱え過ごしてきています。

最初に
南相馬市を
訪れたのは
2011年8月30日~31日。

南相馬市の
商工会女性部の方から
「南相馬を

 元気にして欲しい」との
依頼があり、訪れました。


秋田から
7時間以上かけて
南相馬市へ入りました。

2011年

8月30日の夜
南相馬市

商工会女性部の
皆さん30名と笑いました。


ただただ
笑って元気になって
欲しいと願いながら
笑いヨガをお伝えしました。

会場を探すのも

難しい状況の中で
商工会会員の方が
経営しているホテルを

提供下さいました。

会場となった
ホテルも補修工事の最中…。


笑いの場と
懇親の場が
確保できただけでも幸いでした。

震災後初めて

商工会女性部の
皆さんが集まったそうです。

みなさん

それぞれが 被災され
厳しい状況にありました。

でも

女性たちが立ち上がろう。

女性たちから歩み出そう。


女性たちのパワーを示そう。


女性たちが南相馬を守ろう。

…と言う思いで
震災後の

事始めとして
「笑って、元気に」と
みなさん、笑って下さいました。


女性パワー全開。

2019年12月4日水曜日

納得する笑いが一番


笑いヨガの講座で
いろいろ質問があります。

「つらい時でも
 笑った方が
 いいですか?」…という
質問があります。

私は
「はい。
 ストレスを
 解消するには
 笑った方がいいです」 と 
 お伝えします。


「でも、
 ストレスを
 解消する方法は
 いろいろあるので
 泣くこともいいです」と
 付け加えてお話しします。

2011年

3月11日の
東日本大震災後
福島県南相馬を訪れました。

それぞれ
厳しく・つらい
大きな課題を抱えていました。

笑うことを
楽しんで下さいました。


笑い終わった後
参加された方々の
表情が一変したのです。

本当に、明るくなったのです。

苦しい時は
泣くことも大事ですが
笑うことの重要さを感じました。

笑うことで
≪脳≫が元気になっていくのです。

ストレス解消法は

人それぞれが持っています。

是非
【笑うこと】を加えて下さい。

笑いヨガの
作り笑いに
違和感がある人もおられます。

私も
初めて笑った時
違和感を持ちました。

でも
徐々に慣れ
本物の笑いになっていきました。

初めての方には
「決して、
 無理せず
 自分のペースで
  笑って下さい」とお話します。

心持ちが一番大切です。

無理して

笑うことで ストレスを
持たないことが大事です。

「自分の

 ペースで笑いましょう」と
何度も伝えます。

心に笑いが

ストーンとおちることが大事です。

笑いが自然に
生まれてくることが理想です。

納得することが一番。

    数年前に創作した表装です

2019年4月9日火曜日

東日本大震災から8年と1ヶ月


もうすぐ
東日本大震災から8年と1ヶ月。

3.11の前後は
マスコミ等々で
多く取り上げられますが
それ以降はまた
忘れ去られてしまいます。

震災後
「お会いした方々
  どうしているかなぁ…」
時々思い出します。

南相馬には
笑いヨガの
ボランティアで4回訪れました。

震災後
最初に訪れたのは
2011年8月30日・31日。

福島県の
南相馬市に
笑いを伝えに行きました。

秋田から
南相馬まで
約7時間かかりました。

朝1番の新幹線

「あきたこまち」で仙台へ。

仙台駅で
「やまびこ」に
乗り換えて福島に。

福島駅から
先は電車が不通。

バスに
乗り換え
約2時間半かけて
やっと南相馬市入りしました。

本当に
「遠いなぁ」と思いました。

8月30日の夜
南相馬市の
商工会女性部
約30名の方々に
笑いヨガを伝えました。

こんな状況下で
「笑うことは
 大変ではないかなぁ」
と思いました。

でも、

それは
私の危惧に終わりました。

皆さん
笑うことを
本当に楽しんで下さいました。

それぞれ
厳しく・つらい
大きな課題を
抱えながら
前向きに進もうとしていました。


逆に
私の方が
元気をいただきました。

商工会の
女性の皆さん
相馬盆踊りを
お礼に披露して下さり
笑いを届けることができて
「本当に良かった」と思いました。


時間を作って
もう1度訪れたいと思っています。



 

2019年3月13日水曜日

3.11の涙雨


3月は忙しい月です。

卒業式が3つ。


各種総会が4つ。

家族の
誕生日が2つ。


そして
11日の
2時46分も
忘れられない日です。

東日本大地震。


秋田市
ボランティア協議会で
秋田駅近くの
アゴラ広場で
毎年「追悼の祈り」

の集いを 行なっています。

今年の11日は月曜日。

アトリオンの
笑いヨガの日でした。

時46分に合わせ
20数名のメンバーと
アゴラ広場の
「追悼の祈り」に駆けつけ
みんなで黙とうしました。


降っていた雨が
お昼
テントを
張る時には止みました。

2時46分が
近づくにつれ
また、雨が降りだしました。

悲しみの
涙雨に見えました。

あの日の
出来事を忘れません。










忘れられない出来事


2011年
3月11日
2時46分に
東日本大地震が発生。

あれから
8年が経ちました。

忘れられない出来事です。

8年前
私はT小学校の
「子と親の相談室」で

面談の真最中でした。

携帯電話から  
震源地が宮城県で
「震度7の
 大きな地震が
 発生したようです」
教えてくれました。

3.11は
寒さ厳しい
暗い夜を迎えました。

翌日の
夕方まで停電が続きました。

私の地域は
27時間後に
灯りがつきました。

12日の夜
テレビを見て驚きました。


8年経った
あの映像のことは
今でも鮮明に
思い出されます。

笑って
多くの人が
元気になれるように
秋田に・福島に
岩手・青森・宮城に
笑いの輪・和・話を
広げていきたいです。

まだまだ、
復興は終わっていないです…。

風化させないことが大事です。

私の所属している
ボランティア
連絡協議会主催の
「追悼の祈り」の
つどいに出席しました。

秋田駅前の
アゴラ広場に
心を込めて
「3.11」とろうそくを並べました…。
 











2018年3月29日木曜日

忘れてはいけない日がある


あれから、7年…

東日本大震災
3月11日14時46分。


秋田市の駅前
アゴラ広場で
「追悼のつどい」を行ないました。

秋田の
3月11日は、まだまだ寒いです。

10時~4時まで
風よけテントの中にもろうそくを…。

私達に今できることは…。

忘れないこと!

7年前
初めて
27時間以上もの
長~い停電を経験しました。

27時間後
3/12の夕方
初めてテレビを見て驚きました。
あまりの
惨事を目の前に

「本当に
  このようなことが
  起きているの・・・」と
驚いたことを
7年後の今でも鮮明に思い出します。

文明の利器あふれる
便利な生活に
慣れ過ぎていたこと 
そして、

頼りすぎていたことを
心から反省し
災害対策を
意識するようになりました…。



 

2017年10月11日水曜日

東日本大震災後…今を大事に

 
あの日から、6年と7ヶ月。

あの日
2011年3月11日
東日本大震災の1年後
2012年の夏
親友のKちゃん親子が
秋田に遊びに来てくれました。

20数年ぶりの
うれしい再会が実現しました。

宮城県・気仙沼に
住んでいたKちゃんは
3.11の地震後
九死に一生を経て助かりました。

高台の公民館などを
数ヶ所、着の身着のままで
転々と移動しながら
厳しい・大変な日々を
過ごしたそうです。

その後
Kちゃんは
心から「今が大事」と
思うようになったそうです。

何が起こるか


わからないので
したいこと・やりたいことを
後回しにしないで生きたいと・・・。

なかなか
会えないでいた
私との再会を
実現するために
震災後、移り住んだ
東京から秋田まで来てくれたのです。

5日間
我が家を拠点に
秋田市内
田沢湖・角館に出かけたり
ゆっくりおしゃべりをしたり
貴重な時間を有意義に過ごしました。

あの日から、6年と7ヶ月。

人生が変わった人がたくさんいます。

まだまだ、復興していません・・・。


私も、 「今を大事に」生きたいものです。




東日本大震災から6年7ヶ月


2011年3月11日から
6年7ヶ月も時間が流れました。

親友のKちゃんは
宮城県の
気仙沼海岸近くに住んでいました。

大地震発生後
すぐにKちゃんのことを思いました。

東日本大震災
1週間後ようやく
Kちゃんの無事を知りました。 

1週間余り
Kちゃんの安否が
わからず心配し続けました。


地震後
ツイッターを通し 
息子さんと繋がりました。 

彼はつらく
苦しい状況の中
気仙沼市出身の
地の利を生かし
より正確な情報を集め
ツィッターで受発信していました。

あの日のことを
忘れない
風化させないために
彼のブログの一部抜粋紹介します。

 ********


この数日間
正直な話をすると
僕自身もかなり
切羽詰った状態にありました。

は昨年の九月
父を癌で亡くしたばかりでしたから
この半年の間で
父に次いで母まで
奪い取られるようなことがあれば
「俺も死んで
 神というものを
 呪い殺しに行こう」と
本気で考えておりました。

この数日間はまるで
かりそめの命を
与えられているような心持ちでした。

仕事の合間を縫い
この作業にしがみついていたのも
自分が糸の切れた
凧のようになることを
どこかで恐れていたからだと思います。

眠ることも・食べることも
ままならなかった僕は、
鬼気迫る顔をしていたのでしょう。

そうしたら、
会社のバイトの
スタッフの子たちが
ひとりでに僕の部屋を掃除し
(僕は今、会社の
 事務所の一階に間借りしています)
お味噌汁まで作ってくれました。

お昼どき、
僕に電話をかけてくれ
「外の天気がすごく良いから
 お弁当でも買って
 鴨川に腰かけて食べましょう。
 元気が出ますよ」と
誘ってくれたりもしました

(全員男の子です。
 彼らは皆、素晴らしい
 主夫になれると確信しました)

震災日以来、
彼らの行動から
滲み出る親切さに
僕はどれだけ救われたことか。

その中でもとりわけ
彼らがかけてくれた
この言葉に僕は
最も救われたような気がします。

「Kさん、
 こういうときは、
 休むのが仕事なんじゃないですか」

「そういう考え方もあるのか」
  と、僕は思いました。

あるいはこれは、
一般的な考え方なのかもしれません。

でも僕の場合
言われるまでは
絶対に思い浮かばないことでした。

現地に行きたくても
行く手段がないこと
あるいは、
もし行けたとしても
交通渋滞の一因を招き
物資の到着を遅らせ
現地の方に迷惑を
かけるのではないかという思い。

そして、
自分が
何もできていないという無力感
―そんなジレンマに加え
家族や親族の
生死さえ分からないのに
自分が京都で
全うな日常を送れていることに
大きな罪悪感を抱いていました。

<中 略>

世の中には
バランスというものが存在します。

地震、そして津波という
圧倒的なマイナスの
エネルギーが生じれば
それに対抗し得る
プラスのエネルギーが
僕たち人間の側に湧き起こるように。

だから こそ僕は、こう言いたい。

「遠隔地にいる
 被災者の家族の皆さん
 今は休むことが
 仕事ではないでしょうか」

<中 略>

引き受けた傷と痛みを
プラスのエネルギーに変えましょう。

僕たちには
きっと、それができるはずです。

そして、一人ひとりが
最善と思う形で行動に
移していきましょう。

でも
その前にちょっと、
一休みするべきではないでしょうか。

何と言っても体が
資本であることは、
いつだって変わりませんからね。

そのことを
気づかせてくれた
スタッフのみんな
情報更新作業の
お手伝いを
申しでてくれた方々
本当に感謝しています。

だから僕も
皆さんにこう言わせてください。

「『休むのが仕事』と
  いう時も、あると思います」
                
***************
         

震災1年後
Kちゃん親子が
秋田に遊びにきてくれました。

元気なKちゃん親子と再会。


何があるか
わからないから
したいこと・やりたいことを
後回しにしないで生きたいと・・・。


自然はめぐります・・・。

今年も、柿が実っています。


2017年3月18日土曜日

忘れられない出来事


あれから6年・・・。

忘れられない出来事です。

6年前の
3月11日
2時46分に発生した東日本大地震。

この日
私は〇〇小学校の
「親と子の相談室」にいました。


面談の真最中。

突然、大きく長~い揺れが・・・。

相談者のAさんの
携帯電話から  
宮城県が
震源地
震度7のようだという 
情報を得ることができました。

そして
多くの人が
寒く、つらく、暗い夜を迎えました。

私の地区では
翌日12日
27時間ぶりに灯りがつきました。

その間
日本が東北が
どうなっているか
全然、想像がつきませんでした。

12日の夜
初めて、テレビを見て驚きました。
  ・
  ・
  ・

今も、
あの日のことが思い出されます。

その後
多くの人が
元気になることを
心から願ってきました。

これからも
笑うことで
元気になれるように
福島・岩手・青森・宮城
もちろん秋田に
笑いの輪・和・話を広げています。



 







2017年1月11日水曜日

東日本大地震から5年10ヶ月


2011年3月11日
14時46分・東日本大震災の日。


今日は
あれから5年10ヶ月の日です。

気仙沼の
Kちゃんが年賀状に
家族3人東京で頑張っています」
と書かれていました。

電話では
「故郷を離れ
 東京にいることが夢のようだ」と
語っていました。

気仙沼の
家を処分した日
故郷がなくなったようで
寂しさが襲ってきました・・・とも。

5年と11ヶ月間
いろんな思いを抱えて
日々過ごしてきていると思います。


福島の南相馬にも
気にかかっている人たちがいます。

東日本大震災後

南相馬を4回、訪問しています。

最初は
2011年8月30~31日。

南相馬市の
商工会女性部の方から
「南相馬を元気にして欲しい」との
依頼がありました。


秋田から
JR新幹線・バスを乗り継ぎ
約7時間かけて
<笑い>を届けに行きました。

8月30日の夜
南相馬市商工会女性部
30名の皆さんと笑いました。

商工会
会員の方が
経営しているホテルが会場。

ホテルも補修中の部分も・・・。

震災後、初めて
会員の皆さんが集まったそうです。

ホテルを貸し切り
笑いの場・懇親の場を
設定して下さいました。

それぞれ皆さん

大変な状況にありました。

でも、
何もしないでいるより
女性たちから立ち上がろう!

女性たちから歩み出そう!
女性パワーをみせよう!

女性たちが南相馬を守ろう!

その第一歩として
笑って、元気になろう!と
たくさん笑って下さいました。

5年と10ヶ月
何年経っても
私にできることは
風化させないこと
伝えること・・・だと思っています。

2016年9月13日火曜日

災害対策を行ないましょう!


あれから、5年6ヶ月と1日・・・。

東日本大震災
3月11日14時46分。

あの日

私は初めて
27時間以上もの
停電を経験しました。

日々
便利な生活
文明の機器に 
頼りすぎていたことを

大いに反省しました。

27時間後
翌日の夕方
テレビを見て
あまりの大惨事に
驚いたことを今も想い出します。

「えっ
  こんなことが・・・」と驚きました。

気仙沼のKちゃんは
宮古のYちゃんと

山田のKちゃんは
どうしているかな・大丈夫かな・・と。

でも
3人に連絡の方法が
見つかりませんでした。

3月13日

ようやくツイッターで
Kちゃんの息子さんと

繋がることができました。

3月17日の午後
息子さんから

「母、無事」の連絡がありました。

「良かった~」と

喜んだことが思い出されます。

3人全員元気でした。

でもまだ、

見つかっていない方も・・・。

その後も

多くの所で
地震・洪水・・・
自然の猛威に襲われています。

災害は
忘れたころにやってきます。

災害対策を意識しましょう。

災害対策を行ないましょう。

被災されておられる

多くの皆さんに 
心より、お見舞い申し上げます。




2016年3月11日金曜日

3月11日の黙とう


5年前の3月11日(金)
東日本大震災があった日
秋田市内の〇〇小学校にいました。

そして、
5年後の3.11.も、同じ小学校に。

小学校の玄関には半旗が…。

5年の月日が
流れたことにびっくりポンです。

5年前の3月11日は
今年度、最後の給食日でした。

子ども達に
大人気のカレーライス・
卒業・進級祝いのロールケーキの
スペシャルメニュー。

5年後も、
子ども達が好きな
ハンバーグとおめでとうゼリー。

昼食後
地震発生の1時間前
1~2年生の下校前の
1時46分に校内放送を通し
全校で黙とうをしました。

さらに、
地震発生時間の
2時46分に
3~6年生たちで、黙とうしました。

被災地の皆さんを
遠く秋田の地から応援しています。

笑いヨガボランティアで
3.11後、4回伺った
南相馬の皆さんのことが気になっています。







2016年1月12日火曜日

東日本大震災と成人の日


成人の日・1月11日は
東日本大震災から4年10ヶ月目。

宮城県気仙沼市
階上中学校の卒業式で
答辞を述べた梶原裕太君が
20歳になったという
ニュースがながれていました。

中学3年生時の
梶原君の答辞は
本当に胸に響く答辞でした。

梶原君の答辞を
聞いていて目がしらが
熱くなったことを思い出しました。


苦境にあっても、
天を恨まず、
運命に耐え、
助け合って生きていくことが、
これからの 私たちの使命です。
  ・
  ・
私たちは今
それぞれの 
新しい人生の一歩を踏み出します。
  ・
  ・  
これから私たちが
歩んでいく姿を見守っていて下さい。

必ず、よき社会人になります。


梶原君を含め
多くの成人の日を迎えた
東日本大震災を
経験された若者たちが
良き社会人になって欲しいです。

まもなく
東日本大震災から
5年になりますが
復興の歩み「遅いなぁ」と感じています。







2015年3月11日水曜日

東日本大震災後、南相馬へ


2011年3月11日
14時46分は忘れられないです。 

その時、皆さんは何をしていましたか?

私は某小学校の
「子と親の相談室」でAさんと面談中。


地震?!
何これ、いつもと違いますね。
長~い!
   
宮城県が震源地みたいですよ。
えっ、大変!震度7ですって・・・。

雷がとどろき、不安をかきたてました。

学校では
低学年はちょうど帰宅した後。

先生たちは即、全児童の安全確認。

自宅にいる子どもに連絡し無事を確認。

高学年は集団下校体制
先生たちが付添い送りとどけました。

Aさんも子どもの無事を確認後帰宅。

この後は、寒く暗い夜を迎えました。

27時間後
比較的早く
私の地域の電気が回復。

被災された皆さんは
このあとも厳しい日々が・・・。

福島の皆さんや
秋田に避難されてる皆さんは
「風化・忘れ去られることが怖いです」
と 話されていました

忘れません!!


風化させません!!


また、南相馬で笑いたいと思います。


5回目の訪問、実現させます!