今年も大阪・天王寺の
「一心寺」まで行ってきました。
4年前の11月
母の一番下の妹
Mちゃんが癌で亡くなりました。
大阪に住んでいたMちゃんには
子どもがいなかったので
私をとても可愛がってくれました。
入院してからは
毎日病院へ電話をし
秋田と大阪で「電話笑い」をしました。
お見舞いに行った時は
個室だから大丈夫と
ベットの上で一緒に
「あははは・うふふ・おほほほ・・」と
たくさん笑ってくれました。
なかなかお見舞いに
行くことができませんでしたが
母とトンボ返りで20数回通いました。
伊丹空港からの夜景が
今でも目に焼き付いています。
もっと、
早く「笑いヨガ」を伝えたかったです。
秋田初の笑いヨガ認定ティチャー & 国際交流オープンクラス& 日本語ティチャーのブログ 笑う門に福がきます。 皆様のお蔭で文部科学大臣賞をいただくことができました。 感謝です。 お問い合せは、akita.waraiyoga@gmail.comへ。
2014年11月22日土曜日
2014年3月23日日曜日
大阪のあべのハルカス
通天閣で笑う
2014年2月11日火曜日
しっかり、生きなさい~大阪から
2月11日は建国記念日。
建国記念日は
大好きなMちゃんの誕生日…。
2009年11月に
笑い(ラフター)ヨガ
ティチャーの資格を取得しました。
「笑いヨガ」の一番の応援者でした。
2010年に
笑いヨガの輪が
秋田に広がり始めたころ
大事な一人・Mちゃんが
遠い・遠い国に旅立ちました。
ずっと・ずっと
そばにいて欲しかったです。
いつも・いつも
私の良き理解者でした。
もっと・もっと
いろいろ語りたかったです。
最後の最後まで
元気印のMちゃんは
笑顔を失いませんでした。
きっと・きっと
大阪の一心寺に
眠っているMちゃんは
「しっかり、生きなさい」と
見守ってくれていると思います。
建国記念日は
大好きなMちゃんの誕生日…。
2009年11月に
笑い(ラフター)ヨガ
ティチャーの資格を取得しました。
「笑いヨガ」の一番の応援者でした。
2010年に
笑いヨガの輪が
秋田に広がり始めたころ
大事な一人・Mちゃんが
遠い・遠い国に旅立ちました。
ずっと・ずっと
そばにいて欲しかったです。
いつも・いつも
私の良き理解者でした。
もっと・もっと
いろいろ語りたかったです。
最後の最後まで
元気印のMちゃんは
笑顔を失いませんでした。
きっと・きっと
大阪の一心寺に
眠っているMちゃんは
「しっかり、生きなさい」と
見守ってくれていると思います。
2013年11月11日月曜日
笑ってなきゃ、あかんょ!
忘れられない日があります・・・。
3年前、
大好きなMちゃんの
亡くなった日・11月6日です。
Mちゃんは大阪在住の
母の一番下の妹で
私の良き理解者の一人でした。
もっと、早く
「笑いヨガ」を伝えたかったです。
お見舞いに行った時は
「ほっ・ほっ・は・は・は・・・」と
ベットの上で一緒に笑いました。
毎日かけた病院への電話でも
「個室だからも大丈夫!」 と言って
秋田~大阪の 遠距離笑いをしました。
大阪は遠くなかなか
行くことができませんでした・・・。
それでも、
2010年は母と
病院~空港のトンボ返りで
大阪伊丹線を10数回利用しました。
Mちゃんの笑い声を
もう聞くことができません。
でも、今も心の中に残っています・・・。
今回も母とトンボ返りで大阪に。
Mちゃんの眠っている
天王寺の一心寺では
心の中で 語りかけ笑ってきました。
大阪弁で
「精一杯、生きなはれ・・・」
「笑ってなきゃ、あかんよ・・・」と
Mちゃんの声が聞こえてきそうでした。
涙があふれ、悲しい時間でした。
小雨模様でしたが
一心寺では、不思議と雨があがりました・・・。
母は
「元気なうち、また来るから」と
何度も何度も振り返っていました・・・。
3年前、
大好きなMちゃんの
亡くなった日・11月6日です。
Mちゃんは大阪在住の
母の一番下の妹で
私の良き理解者の一人でした。
もっと、早く
「笑いヨガ」を伝えたかったです。
お見舞いに行った時は
「ほっ・ほっ・は・は・は・・・」と
ベットの上で一緒に笑いました。
毎日かけた病院への電話でも
「個室だからも大丈夫!」 と言って
秋田~大阪の 遠距離笑いをしました。
大阪は遠くなかなか
行くことができませんでした・・・。
それでも、
2010年は母と
病院~空港のトンボ返りで
大阪伊丹線を10数回利用しました。
Mちゃんの笑い声を
もう聞くことができません。
でも、今も心の中に残っています・・・。
今回も母とトンボ返りで大阪に。
Mちゃんの眠っている
天王寺の一心寺では
心の中で 語りかけ笑ってきました。
大阪弁で
「精一杯、生きなはれ・・・」
「笑ってなきゃ、あかんよ・・・」と
Mちゃんの声が聞こえてきそうでした。
涙があふれ、悲しい時間でした。
小雨模様でしたが
一心寺では、不思議と雨があがりました・・・。
母は
「元気なうち、また来るから」と
何度も何度も振り返っていました・・・。
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