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2015年2月11日水曜日

3年11ヶ月とKちゃん


2011年3月11日
親友の一人が
気仙沼海岸近くに住んでいました。

地震発生を聞いた時
すぐKちゃんのことを思いました。

大地震発生から
1週間後にようやく
Kちゃんの無事を知りました。 

地震後
ツイッターを通し 
息子さんと繋がることができました。

でも、
Kちゃんの安否は
なかなか、わからず心配しました。

息子さんは
つらく・苦しい状況の中
気仙沼市出身の
地の利を生かし
より正確な情報を集め
受発信していました。

あの日のことを
忘れない
風化させないために
Kちゃんの息子さんの
ブログから一部抜粋紹介します。 
********


この数日間
正直な話をすると
僕自身もかなり
切羽詰った状態にありました。

は昨年の九月
父を癌で亡くしたばかりでしたから
この半年の間で
父に次いで母まで
奪い取られるようなことがあれば
「俺も死んで
 神というものを
 呪い殺しに行こう」と
本気で考えておりました。

この数日間はまるで
かりそめの命を
与えられているような心持ちでした。

仕事の合間を縫い
この作業にしがみついていたのも
自分が糸の切れた
凧のようになることを
どこかで恐れていたからだと思います。

眠ることも・食べることも
ままならなかった僕は、
鬼気迫る顔をしていたのでしょう。

そうしたら、
会社のバイトの
スタッフの子たちが
ひとりでに僕の部屋を掃除し
(僕は今、会社の
 事務所の一階に間借りしています)
お味噌汁まで作ってくれました。

お昼どき、
僕に電話をかけてくれ
「外の天気がすごく良いから
 お弁当でも買って
 鴨川に腰かけて食べましょう。
 元気が出ますよ」と
誘ってくれたりもしました

(全員男の子です。
 彼らは皆、素晴らしい
 主夫になれると確信しました)

震災日以来、
彼らの行動から
滲み出る親切さに
僕はどれだけ救われたことか。

その中でもとりわけ
彼らがかけてくれた
この言葉に僕は
最も救われたような気がします。

「Kさん、
 こういうときは、
 休むのが仕事なんじゃないですか」

「そういう考え方もあるのか」
  と、僕は思いました。

あるいはこれは、
一般的な考え方なのかもしれません。

でも僕の場合
言われるまでは
絶対に思い浮かばないことでした。

現地に行きたくても
行く手段がないこと
あるいは、
もし行けたとしても
交通渋滞の一因を招き
物資の到着を遅らせ
現地の方に迷惑を
かけるのではないかという思い。

そして、
自分が
何もできていないという無力感
―そんなジレンマに加え
家族や親族の
生死さえ分からないのに
自分が京都で
全うな日常を送れていることに
大きな罪悪感を抱いていました。

<中 略>

世の中には
バランスというものが存在します。

地震、そして津波という
圧倒的なマイナスの
エネルギーが生じれば
それに対抗し得る
プラスのエネルギーが
僕たち人間の側に湧き起こるように。

だから こそ僕は、こう言いたい。

「遠隔地にいる
 被災者の家族の皆さん
 今は休むことが
 仕事ではないでしょうか」

<中 略>

引き受けた傷と痛みを
プラスのエネルギーに変えましょう。

僕たちには
きっと、それができるはずです。

そして、一人ひとりが
最善と思う形で行動に
移していきましょう。

でも
その前にちょっと、
一休みするべきではないでしょうか。

何と言っても体が
資本であることは、
いつだって変わりませんからね。

そのことを
気づかせてくれた
スタッフのみんな
情報更新作業の
お手伝いを
申しでてくれた方々
本当に感謝しています。

だから僕も
皆さんにこう言わせてください。

「『休むのが仕事』と
  いう時も、あると思います」
                
***************
         

無事を知った時
本当に嬉しかったです。

1年後
Kちゃん親子が5日間
秋田に遊びにきてくれました。

今、
Kちゃんは
首都圏で息子さんと一緒です・・・。





2015年1月11日日曜日

東日本大地震から3年10ケ月

あれから40年は
お笑いタレント
綾小路きみまろさんのセリフですが
今日は、あれから3年10ヶ月の日です。

2011年3月11日
14時46分・・・東日本大震災の日。

東日本大震災後の
2011年8月30・31日
福島県の南相馬市に行ってきました。

南相馬市の
商工会女性部の方から
「南相馬を元気にして欲しい」
との依頼があり、約7時間かけて
<笑い>を届けに行って来ました。

8月30日の夜
南相馬市の商工会女性部
30名の皆さんと笑いヨガをしました。

商工会の会員の方が
ホテルを貸し切って
笑いの場を作って下さいました。

皆さん大変な状況にありながら
「女性たちから立ち上がろう!」
「私たちが南相馬を守ろう!」
「女性パワーをみせよう!」
とにかく、歩み出そうという姿がありました。





南相馬の方々に
笑っていただいて
「良かったなぁ」と思うとともに
この出来事を決して
≪風化≫させてはならないと痛感!!

今、私にできることは
≪忘れないこと≫
≪風化させないこと≫
≪伝えること≫・・・・・・です!

2012年8月7日火曜日

東日本大震災と電池

東日本大地震から、もうすぐ1年5ヶ月・・・。

秋田県も時々、揺れる日が…。
非常用のチェツクを時々しています。

東日本大地震後
手に入りずらかったのが 乾電池でした。

3ヶ月くらい乾電池が 店頭から消えました。

我が家の
乾電池の需要は
懐中電燈に  単1乾電池4本
携帯ラジオに 単3乾電池2本×4組
小型懐中電燈に 単3乾電池4本・・・。

掛け時計・パソコンのマウス・車庫のシャッター・
玄関のチャイム・TVのリモコン いろいろな所に・・・。

私のエリアの3.11の停電は 地震後 約28時間。

大きな混乱もなく 
なんとか過ごしていたのですが
1か月後 ガスが点火しないのです。

・・・ウーン? 一体 何が???・・・
原因は、ガスレンジ内の 電池切れでした。 

一番大きな単1の
乾電池2本を ガスレンジに使っていました。

応急処置で乾電池を
手であたためて なんとか点火させました・・・。


<災害時・緊急時の知恵>に
単3電池で 単1電池を作る方法 がありました!!

≪単1電池を作る方法(1個分)≫
用意するものは
 単3電池・ 1円玉7枚・ 紙・ セロテープ

作り方は
①1円玉7枚を重ね セロテープでとめます。
②単3電池のマイナス極につけます。
③単1電池と同じ太さにするために
    用紙を巻きつけ 形をととのえます。

消費量は早いようですが、単1電池が必要な時の裏ワザ。

この夏も、エコ電力に取り組んでいます。



2011年8月13日土曜日

気仙沼の友と琴

気仙沼の友・Kちゃん
私の影響で 仙台まで通って琴を習っていたそうです。

東日本大震災で
お琴・2面も 流されてしまったそうです・・・。

Kちゃんが また 琴を弾くことを願って・・・ 

マレーシアの留学生
アズリンさんと ファリドさんと
琴の演奏会で 一緒に演奏した『四季の詩』を。

(なつかしい日本の小学唱歌を アレンジした曲)



思い出の演奏会 前列左から私・ファリドさん・アズリンさん

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

気仙沼の友

友と 30数年ぶりの 再会です!!
気仙沼の Kちゃんが
娘さんと息子さんの3人で 秋田に遊びに来ました。

『論語』の【有朋自遠方来 不亦楽】 

朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや

「友人が 遠方から訪ねて来てくれて
こんな うれしいことはない」 の心境です。

3月11日の東日本大震災で
気仙沼の家を失い 1ヶ月近く避難所生活をし
その後、東京の子どもさんの所で生活を・・・。

Kちゃんと私は
30年以上の時空を越え
学生時代に戻り 話がつきません。

8月9日の朝~13日の夜まで
秋田を 愉しんでいただきました。

あっという間に
再会の時が 流れ
また、会うことを約束して
笑って 笑顔で 別れました。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年7月6日水曜日

あれから、4ヶ月・・・

東日本大震災の 3月11日から
もうすぐ 4ヶ月が 経とうとしています・・・

東日本大震災復興の
応援団の一員として 何ができるか?・・・
いつも頭にあります。

秋田から できることを
いろいろなところで 応援しています。



がんばろう東北!! 角館駅で・・・



私は 笑いヨガ・ラフターヨガで
笑顔を 元気を 健康を お伝えしています。



笑顔は まわりを明るくします。 



7月 9日 (土) 14:00~ 15:00

まちの駅あきた (フォンテAKITA・7階)
秋田市中通 : 旧イトーヨーカ堂 
直接会場にどうぞ!!   参加無料です!!

笑いヨガ・ラフターヨガを 行います!!
一緒に笑って 心も身体も 元気になりましょう!!

HO・HO・HA・HA・HA・・・

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年5月22日日曜日

感謝する心

東日本大震災後 
変わったのは 多くのお店や 
公共施設の中が 暗くなったこと・・・

いや、今までが 明るすぎたのです。

そして、以前同様
お店には 何でも揃っています。

東日本大震災後
様々なモノの品薄状態が続きました。

人間贅沢で 
なければ 食べたくなり
いつ、手に入るのだろうかと 心待ちに・・・

特に、ヨーグルトは 高温殺菌や
40~50度で発酵させるなど
製造過程で 多くの電力を使うため
店頭から消えてしまいました。

温度調節で 品質管理が難しく
停電すると 長期保存もできないので
生産能力が 落ち込んだそうです。

今、毎日 感謝しながら食べています。

生きていること
電気がついていること
蛇口をひねると 水が出ること
当たり前と 思っていたこと
等などへの感謝を 忘れないようにしたいです。



笑える日々にも 感謝です!!

いつの日か 被災地の方々にも
笑いヨガ ラフターヨガで
笑って いただきたいと思っています。



まだ、ライフラインが復旧していない
東日本大震災被災地の方々に
心より お見舞い申し上げます。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年5月17日火曜日

届いた手紙

東日本大震災から2ヶ月と1週間・・・

宮城県気仙沼市の友 Kちゃんとは
息子さんを 通じて 早い時点で
元気でいることを 知ることができました。
そして、Kちゃんからは
避難所から はがきを いただきました。

私の住所を
思い出して 書いてくれたのです!

気仙沼のKちゃんの他に
岩手県の宮古市や 山田町にも 友がいます。

住所録が 手元にあるにも かかわらず、
手紙を書くことが なかなか できませんでした。

ズッーと ズッーと
心に かかっていたのですが
ペンを 持てずににいました・・・。

5月11日の2ヶ月目に
意を決して ようやく 手紙を書きました。

そして、便りを出してから 1週間
Yちゃんと Kちゃんから 即、返事がきました。

Yちゃん も Kちゃんも、
家を失いながらも 無事でした。

Kちゃんのご主人は
地震後、愛犬を探しに戻り
未だ 行方不明と書かれていました・・・。



そして、私が出した手紙を
2人とも とても、喜んでいました。



手紙を どんどん 書きます。

そして、会いたいと 思っています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年5月3日火曜日

八代亜紀さん と ボランティア

歌手の八代亜紀さんが  
宮城県石巻市と東松島市の
避難所を慰問しているTV映像を観ました。

被災者のリクエストに応えて
「舟歌」をアカペラで熱唱し 
多くの皆さんに 勇気と希望を与えていました。

4月 秋田市中通のアトリオンビルで
AKT秋田テレビ主催
歌手・八代亜紀さんの絵画展を鑑賞し
画家・八代亜紀さんから 感動をいただきました。



八代亜紀さんは 八代産の畳を
4月に1000枚を 石巻市に送り
石巻市鹿妻(かづま)小学校の
体育館に 隙間なく畳が敷かれ
心地よく眠れると大好評だったそうです。

GW、いろいろな方が
東日本大震災の被災地に
ボランティア活動にでかけていると思います。

今、被災地に行けない
私にできることは 募金活動・・・
それから、それから
秋田で「笑顔」「笑いヨガ」を広げることかな。

HOHOHAHAHA・・・

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年4月19日火曜日

イライラ感の解消法


日本大震災の余震が続いています。

今朝も
4時14分に 
秋田県内陸南部が震源地
震度5弱の大きな揺れがありました。

私の所、秋田市は震度3。

まだ、眠りの中でした・・・。

起きている時の
地震も恐いですが
寝ている間に
突如襲う揺れの方が
より強く恐怖を感じるような気がします。

無防備状態が
恐さを増すのでしょうか。

余震は、
徐々に少なくなって
きているそうですが
先を読むことのできない恐さが 
イライラ感・不安を招いているように思います。

いつもより
早く目覚めたので
イライラ感解消に
「沈黙の笑い」をしました。

一人でできる
笑いヨガ ラフターヨガです。

声を出さずに、笑うのです。

アハハハ・アハハハ・・・
アハハハ・ヒヒヒ・
フフフ・へへへ・ホホホ・・・と
声を押し殺して 笑います。

だんだん
楽しくなってきます・・・。

笑うと元気が出てきます。


柿の木の下で
何も言わず咲いています・・・。

庭に春が訪れています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年4月9日土曜日

感情をだすこと

私の朝は テレビより ラジオ派です。

5時30分~6時30分のラジオ番組
生島ヒロシの 「おはよう一直線」を よく聴きます。

タイムリーで わかりやすいニュース解説
金融・マネー&経済の知識
元気になるための健康 ためになる話題など
生島さんが 楽しいキャラクタ-で 伝えてくれます。

(2度ほどお会いしたことがあるんです^^・・・)
(生島さんのお姉さんも
東日本大震災の被災者とのことです)

7日(木)
6時台の話題は ≪ストレスの解消法≫ について

3つのキーポイントをあげていました。

①太陽を浴びること

②身体を 動かすこと

③スキンシップ

そして、プラスα として

*感情をだすこと・・・泣いたり 笑ったりが大事!
と言われていました。

♪「泣きましょう! 笑いましょう!」 
の歌を 想い出しました。

    

花  (作詞作曲  喜納昌吉)

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて  どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい  笑いなさい
いつの日か  いつの日か 花を咲かそうよ


涙ながれて  どこどこ行くの
愛も流れて   どこどこ行くの
そんなながれを このうちに
花として 花として むかえてあげたい

泣きなさい  笑いなさい
いつの日か  いつの日か 花を咲かそうよ


花は花として 笑いもできる
人は人として 涙もながす
それが 自然の歌なのさ
心の中に 心の中に  花を咲かそうよ

泣きなさい  笑いなさい
いついつまでも
いついつまでも 花をつかもうよ


笑って 元気になりましょう!
笑いヨガで 笑いましょう!


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年4月8日金曜日

大きな余震

東日本大震災後 
「また、大きな余震があるよ」
「28日後が 一番危ないよ」
と 周り方々に 言われていました。

「28日説」 が 本当になりました・・・。

7日夜 23時32分
宮城県が 震源地 震度6強の地震が発生。

秋田市は 震度5強。
揺れ始めると 同時に、
「バッシ」と音がして 真っ暗に・・・停電・・・。

3月11日の
東日本大震災時は 28時間の停電でした。

生まれて初めて、
28時間も 電気のない生活を 体験しました。
ライフラインの ガスと水道は 通っており
我が家では 幸い大きな混乱
不便は ありませんでしたが
3月の東北・秋田の 寒さだけは 堪えました。
(小さなストーブは 用意していましたが・・・)



「今回は 停電が 何時間 続くのだろう」
という 不安が 頭の中をよぎりました。

3月11日の 東日本大震災後、
何度も 身体に感ずる余震を 
体験しており
心の準備もあり 冷静に 対応できました。

4月に入り 
幾分 寒さが 和らいだものの
まだ寒いので 心配しましたが
約13時間で 電気が 復旧しました。

電気の復旧に感謝すると共に
被災地の方々の大変さを 心の底から 思いました。

「当たり前の生活」
「普通の生活」の 
ありがたさを もう一度 心に刻みます・・・。

≪忘れた頃に 災害がやってくる≫


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年4月3日日曜日

子どもたちの宝物

新学期、この時期に想い出すことがあります。

学年が上がり、教室がかわり
どんな先生が 担任かな?と ワクワク・・・。
そして、新しい教科書の出会い・・・。

私が、小学生の時
真新しい教科書 1冊1冊に
名前を書き入れるのは 父の仕事でした。
筆で 一字一字 記入してくれました。 
父の手元をながめながら
希望に満ち 幸福感に包まれる時間でした。
父の字体を 今も なつかしく想い出されます。

もうすぐ、小・中学校の新学期が始まります。
子どもたちは、元気に登校することでしょう。

東日本大震災で、教科書・ランドセルを
失った多くの子どもたちにも
新学期までには、教科書が届くことを願っています。



教科書は、子どもたちの宝物です。



今年は、
その宝物の内容が増えて、少し厚くなりました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年4月2日土曜日

「しあわせ運べるように」の歌

「しあわせ 運べるように」の歌が 心に響きます。

阪神・淡路大震災後に 作詞・作曲された 
神戸市立明親小学校の
臼井真先生の思いが 伝わってきます。

≪しあわせ 運べるように≫  

地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
支え合う心と 明日への希望を胸に

響き渡れ 僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に
届けたい 私たちの歌 しあわせ運べるように


地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿に戻そう
やさしい春の光のような 未来を夢み

響き渡れ 僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に
届けたい 私たちの歌 しあわせ運べるように
届けたい 私たちの歌 しあわせ運べるように

響き渡れ 僕たちの歌 生まれ変わる神戸の街に
届けたい 私たちの歌 しあわせ運べるように
届けたい 私たちの歌 しあわせ運べるように
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

希望への歌「しあわせ運べるように」

「しあわせ 運べるように」 という歌が あります。

神戸市立明親小学校 臼井真先生が
阪神・淡路大震災から 約2週間後に 作られた歌です。



臼井真先生が 歌を作った思いを 記しています。

生まれ育った 神戸市東灘区の自宅は 全壊
勤務先である小学校も 2千人以上の方々の
避難所という状況の中で 親類宅で創作しました。

私は、
自分が生まれ育った神戸の街が瓦礫と化し
変わり果てた状態になった時に
初めて自分は神戸という街を
とても 深く愛していたのだということを 知りました。

あんなに 悲しいことがなければ
永遠に 気づかなかったことかもしれません。

この歌を 作った時ほど
胸が痛く 切ない気持ちに なったことはありません。

その時に 私は 神戸の街を
人間のようにとらえて 思いを綴っていました。

神戸の街は
傷ついただけなんだ、死んではいない。

神戸に 住んでいる
子ども達の 清らかな歌声が
苦しんでいる神戸の街に 響きわたれば
いつの日にか 必ず
傷も癒され 元の姿に 戻ってくれる・・・

神戸の復興への願いをこめた 臼井真先生の歌を
今、
宮城・岩手・福島・・・
東北にかえて 復興への願いを届けたいです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年3月30日水曜日

胸をうった卒業式の答辞


東日本大震災に見舞われた
気仙沼市 階上中学校の卒業式での
卒業生代表の 梶原裕太君の 答辞は
日本中の 多くの人の心を 揺り動かしました。

胸に 強く 強く響いた 答辞でした。

その梶原君の答辞の全文です。

本日は
未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか
私たちのために 卒業式を挙行していただき
ありがとうございます。

ちょうど 十日前の三月十二日。

春を思わせる暖かな日でした。

私たちは
そのキラキラ光る日差しの中を
希望に胸を膨らませ
通いなれたこの学舎を
五十七名揃って 巣立つはずでした。

前日の十一日。

一足早く渡された、
思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、
十数時間後の卒業式に 
思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる
天変地異が起こるとも知らずに・・・。

階上中学校といえば
「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた 私たちでした。

しかし、自然の猛威の前には、
人間の力は あまりにも無力で、
私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
 
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
 
つらくて、悔しくてたまりません。

時計の針は 十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として
顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、
正しく、たくましく生きていかなければなりません。 

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、
苦境にあっても、
天を恨まず、
運命に耐え、
助け合って生きていくことが、
これからの 私たちの使命です。

私たちは今、
それぞれの 
新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、
何をしていようとも、
この地で、
仲間と共有した時を忘れず、
宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、
階上中学校で過ごす
「あたりまえ」に思える日々や友達が、
いかに貴重なものかを考え、
いとおしんで過ごしてください。

先生方、
親身のご指導、ありがとうございました。
先生方が、
いかに私たちを思ってくださっていたか、
今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々な
ご支援をいただき、ありがとうございました。

これからも
よろしくお願いいたします。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、
これから私たちが歩んでいく姿を
見守っていてください。
必ず、よき社会人になります。

私は、
この階上中学校の生徒で
いられたことを誇りに思います。

最後に、
本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表  梶原 裕太



梶原君 希望を ありがとう!!



















☆ ☆ ☆ ☆ ☆

忘れられない卒業式

これまでに 数多くの小学校・中学校の
卒業式・入学式に 参列し、門出を祝福してきました。

今年も 数ケ所の卒業式に出かけ 
「これからの日本を支える子どもたち」の
答辞・送辞の挨拶に 胸が熱くなり 感動してきました。

そして、今年は
東日本大地震の被災地の子どもたちの
卒業式シーンを TVで観て 心が熱くなっています。
特に
気仙沼市階上中学校 卒業生代表の梶原裕太君の
一言一言かみしめながらの
高潔な答辞に 胸がうたれました。

階上中学校 3年生 57名(うち1名死亡・2名不明)
全員そろっての 卒業には なりませんでしたが
15歳の少年の言葉に 復興への 力強さを感じました。
東日本大震災後
人生・生きる意味を 突き付けられています・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年3月28日月曜日

そっと 目をとじて

ちょっとだけで いいです。

そっと 目を閉じてみましょう。

ゆったりした気持ちで
目を閉じてみて下さい。

心が 落ち着きます。

目から入ってくる情報はとても多く  
脳への刺激が とても大きいのです。

目を閉じて 
少しの間 情報を遮断すると 脳が休まります。

心が 休まります。

目を閉じて ゆっくり深い呼吸をしましょう。

できるだけ ストレスを ためず
心と身体に やさしい日々を 送りたいものですね。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年3月24日木曜日

災害時の知恵

「天災は忘れた頃にやってくる」 という言葉を
日本語の授業で留学生たちに 毎年教えています。

秋田県では
5月26日「県民防災の日」(日本海中部地震)
1983年・昭和58年
9月 1日「防災の日」(関東大震災)
1月17日「防災とボランティアの日」
(阪神・淡路大震災)
があります。

学校でも、避難の訓練を行っています。

地震国といわれる日本で
留学生生活を過ごす学生たちに
秋田・日本の災害について伝え
避難の指導をしています。

地震を経験したことのない留学生
津波を体験した留学生
水害にあったことがある留学生
様々な留学生がいます。

災害対策時に 必要なもの
準備して置いた方がいいもの等を 伝えています。

東日本大地震後 あらたに
被災人の知恵」の情報をいただきました。

http://www.nhk.or.jp/hisaito2/chie/index.html

情報は たくさんあった方がいいですね!

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

元気印の笑みさん

2009年11月に
笑いヨガ・ラフターヨガ ティチャー資格を
一緒に取得した仲間
東北唯一のティチャー仲間  
仙台市在住の 笑み(恵美)さんがおられます。

東日本大地震後 
心配しておりましたがご無事でした。
えがった! えがった! イエー!!

家など全てを 失ったそうですが
ファイトの塊・ 元気印の 笑みさん
ご主人と 新天地・新生活をめざして
スタートされています。

まだ 「ガハハハー」とは いかないけれど
「はははー」「ふふふー」 と
笑いながら 頑張っておられるようです。

笑みさんのご主人も 
笑みさん以上に 元気印の方のようです。
地震後 地域の方々の司令塔役に!!
いいぞ! いいぞ! イエー!!

笑みさーん!!
HO・HO・HO・HA・HA・・・ !!

☆ ☆ ☆ ☆ ☆