2011年9月5日月曜日

南相馬市での笑いヨガ・ラフターヨガ その5

私にとっては初めての地・南相馬でしたが
訪れるべくして 訪れた場所のように思われます。

南相馬で初めて出会った高橋美加子さんと
私がボランティア活動を始めた頃
ご指導いただいた
せんだい・みやぎNPOセンター代表の
故加藤哲夫さんが 同郷でした。

8月に亡くなられた
加藤哲夫さんがご自身のブログに
高橋美加子さんのことを書かれています。

一部分お借りし、ご紹介いたします(4月30日付)

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南相馬市の高橋美加子さんと電話でお話しました。
少し疲れている様子でした。


「南相馬からの便り1,2」を発表してから、
彼女は地元でも、原発を憂える人々の間でも、
有名になりました。
感動したという声もたくさん届いています。
でも、その多くの人々は、
彼女の苦しみや恐怖や躊躇を理解していない
のではないかと、私は危惧しています。


実名を出して、はっきりと
原発はもうやめて欲しいということを訴えた人が、
残念ながら、まだまだ他にいないからです。
(もともと反対の声を上げて
きた方々のことは別においておきます)


「原発はもうやめて欲しい」という声を、
原発立地の地域で上げることは、
どのような軋轢をもたらすか、想像してください。
どのような圧力がかかるか、
どのような隠微な嫌がらせを受けるか。
原発の現地の状況をもっとリアルに想像してください。

彼女は、それを承知で、
それを覚悟して、あのメッセージを公にしたのです。

彼女を孤立させてはなりません。
彼女を見殺しにしてはなりません。

そのためには、
彼女をジャンヌダルク扱いするのではなく、
一人ひとり、彼女のメッセージを受け取った人が、
自身の言葉で、自分自身を問う言説を吐き、
行動することです。

と、加藤哲夫さんが書かれています。

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車が山積み・・・
問題が山積みです。 でも、叡智の結集を!!



家の形・輪郭はあるものの中は何もない建物が無数に・・・

今、私たちには 形ではなく、
中身のある・心のある行動が求められています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

南相馬市での笑いヨガ・ラフターヨガ その4

福島出身の
せんだい・みやぎNPOセンター代表の
加藤哲夫さんが 8月末亡くなりました。

私が23年前 
ボランティア活動を始めた頃
加藤哲夫さんは 東北の星でした。
そして、時代がボランティアから
NPO法人化という流れに移行した時も 
パイオニアの塊であり チャレンジャーでした。

今、本当に東北に必要な方でした。
もっともっと、ご指導いただきたい方でした。
心からご冥福を申し上げます。
ありがとうございました。

加藤哲夫さんが闘病生活の中
ブログに 私が訪れた南相馬市の
高橋美加子さんのことを 書かれていました。

加藤哲夫さんと高橋美加子さんが
同郷で繋がっていたことが 嬉しいです。

そして、私と高橋美加子さんとの
出会いが 偶然ではなく
必然的だったようにも感じられます。


船が街の中にゴロゴロ・・・



加藤哲夫さんが亡くなられた8月末に
南相馬に出かけたことで
少し、加藤さんご恩返しができたように思います。

加藤さんは 私が
笑いヨガ・ラフターヨガを始めたことは
知らないのです・・・
どこかで、導いて下さったのでしょうか・・・

人と人の繋がりは 不思議なものです。

人と人の出会いを 大切にしなければと
心から思いっています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

南相馬市での笑いヨガ・ラフターヨガ その3

南相馬市で
笑いヨガ・ラフターヨガを伝える機会をいただき
8月30日、初めてお会いした
高橋美加子さんは(株)北洋社代表取締役
とても きさくな方で
旧知の友のように 私と接して下さいました。

小柄な方で、どこにパワーを秘めているのだろうと
思うくらい 飛びまわっておられました。



【良い会社をつくろう・ 良い経営者になろう・
良い経営環境をつくろう】の福島県中小企業家同友会の
たよりに 高橋美加子さんのことが 紹介されています。

南相馬を知っていただくために
<同友ふくしま 2011年5月号>を掲載させていただきます。

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「つながろう南相馬。ふるさと再生、真の復興に向けて」

(株)北洋舎クリーニングは
南相馬市原町区にあり、
福島第一原子力発電所から30キロ圏内。

屋内退避地域と指定され1ヶ月半以上。
3月11日の地震被害は 少なからず
ありましたが、設備をすぐ建て直し 
14日からは通常営業に戻す段取りでした。
しかし、原発の爆発により急変。
地域全体がパニック状態、
自主避難する市民多数、
7万人の人口が 推定1万人まで減りました。

当然、営業は難しい状態。
放射能漏れの情報は不足、
まったくどんな影響があるかも分かりません。
社員さんの命にかかわる問題です。
自主避難という、
自己責任を突きつけられ、
家族の説得もあり、
やむなく 一時的に
南相馬市を離れるよう決断しました。

移動しながらも考えていたのは会社の資金繰りこと。
一週間後には南相馬に戻ります。
会社のものをすべてそのままにしての避難だったため、
気がかりで居ても経っても居られなかったとの事。
同友会のみんなからの
メールや電話がなによりの励ましであり、
いろんな情報がタイムリーに入ってくるので、
気持ちを落ち着かせることができたそうです。

戻ってすぐ資金手当てや支払の対応、
雇用を守るための諸手続き、
テナント店からの品物などの撤収や、
仕掛品の仕上げと立て続けの仕事をこなしました。

4月25日現在、屋内退避も解け
徐々に南相馬にも人が戻ってきていますが、
「緊急時避難区域」はそのままで、
元の生活は戻りません。

これからが会社運営の本番です。
自分の器が試される時と覚悟を決めました。
復旧の弊害は「国の制度の壁」であり、
次々と出される
復興支援と称する金融や雇用の助成政策も、
過去の例に倣った基準がそのままで、
残念ながら今のところ現場までは届いていません。

高橋さんは
「原発事故は人災です。
人災は、人間の叡智で防げるもの。
だから、真の復興プロジェクトを
構築するために、叡智の結集しましょう。
そのことこそ、私たちに
希望と生きる力をもたらす
原動力となるのです」 と語ります。

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高橋さん・Hさんをはじめ、
南相馬を愛する人達の思いは、
南相馬に 叡智を結集し ふるさとの再生です。

私ができることは
笑い・笑顔で 心と身体を元気にすること・・・
南相馬の現状を伝えること・・・



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