2011年3月31日木曜日

つらい時こそ…

東日本大震災後 
「この様な時期に 笑うなんって・・・」
「被災地の方々を思うと 笑えない・・・」
「不謹慎 では・・・」 と
感じられる方も 多いと思います。

でも
つらい時こそ 笑いましょう。
悲しい時こそ 笑いましょう。
心と 身体を 元気にするために 笑いましょう。

笑うと リラックス します。
笑うと 免疫力が 高まります。
笑うと 脳が活性化 します。



笑いヨガ・ラフターヨガ講座で 笑ってみませんか?
どこでも 
誰でも 子どもから高齢者まで 簡単にできます。

難しいポーズ ・ 動きは ありません。

笑いヨガ・ラフターヨガでの
作った 「笑い」も
自然の 「笑い」も 同じ効果がある と言われています。



笑って 心も身体も 元気に しましょう!!
笑って 心も身体も 健康に しましょう!!

4月に向かって 笑いましょう。 
春にむかって  笑いましょう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

一人の手

ひとりの力が あつまれば・・・
みんなの力を あわせれば・・・     

この歌を 想い出しました。

一人の手

訳詞:本田路津子  作曲:ピートシーガー

ひとりの小さな手  何もできないけど 
それでも  みんなの手とあわせれば     
何か できる  何か できる

ひとりの小さな目  何も見えないけど
それでも  みんなの瞳でみつめれば
何か 見える  何か見える

ひとりの小さな声  何も言えないけど
それでも  みんなの声が集まれば
何か 言える  何か言える

ひとりで歩く道  遠くてつらいけど
それでも  みんなのあしぶみ響かせば
楽しくなる  長い道も

ひとりの人間は  とても弱いけど
それでも  みんなが集まれば
強くなれる  強くなれる


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2011年3月30日水曜日

胸をうった卒業式の答辞


東日本大震災に見舞われた
気仙沼市 階上中学校の卒業式での
卒業生代表の 梶原裕太君の 答辞は
日本中の 多くの人の心を 揺り動かしました。

胸に 強く 強く響いた 答辞でした。

その梶原君の答辞の全文です。

本日は
未曾有の大震災の傷も 癒えないさなか
私たちのために 卒業式を挙行していただき
ありがとうございます。

ちょうど 十日前の三月十二日。

春を思わせる暖かな日でした。

私たちは
そのキラキラ光る日差しの中を
希望に胸を膨らませ
通いなれたこの学舎を
五十七名揃って 巣立つはずでした。

前日の十一日。

一足早く渡された、
思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、
十数時間後の卒業式に 
思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる
天変地異が起こるとも知らずに・・・。

階上中学校といえば
「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた 私たちでした。

しかし、自然の猛威の前には、
人間の力は あまりにも無力で、
私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
 
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
 
つらくて、悔しくてたまりません。

時計の針は 十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として
顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、
正しく、たくましく生きていかなければなりません。 

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、
苦境にあっても、
天を恨まず、
運命に耐え、
助け合って生きていくことが、
これからの 私たちの使命です。

私たちは今、
それぞれの 
新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、
何をしていようとも、
この地で、
仲間と共有した時を忘れず、
宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、
階上中学校で過ごす
「あたりまえ」に思える日々や友達が、
いかに貴重なものかを考え、
いとおしんで過ごしてください。

先生方、
親身のご指導、ありがとうございました。
先生方が、
いかに私たちを思ってくださっていたか、
今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々な
ご支援をいただき、ありがとうございました。

これからも
よろしくお願いいたします。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、
これから私たちが歩んでいく姿を
見守っていてください。
必ず、よき社会人になります。

私は、
この階上中学校の生徒で
いられたことを誇りに思います。

最後に、
本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表  梶原 裕太



梶原君 希望を ありがとう!!



















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